鴨居みかん台自治会
東日本大震災

大震災義援金
地震発生後の混乱
大震災義援金
   
※組長が義援箱を持って各会員宅に伺いますので,
一口以上のご協力をお願いします。
義援金集計作業
平成23年4月2日
  
   
   
義援金合計   504,331円
   
東日本大震災に対する義援金
ご協力ありがとうございました。
地震発生後の混乱
   
 2011年3月11日地震発生時,私は観音崎公園の山道を歩いていた。舗装された園路に通じる階段の手前にさしかかった時,突然目まいに襲われ真っ直ぐ歩けなくなった。日頃の不摂生がたたって三半規管がおかしくなったのだろうか?

 フラフラしながらも短い階段を注意深く一歩ずつ下って園路へ出ると,左手から初老の男性二人が「すごい地震だね!」「まだ揺れてるよ!」と話しながら近づいてきた。私が「地震ですか?」と尋ねたところ,一人が前方を指さし「まだ電線が波打ってますよ!」と教えてくれた。

 指さす先を見ると県道沿いの電線が大きく波打ち,電柱も揺れている。バックにある森全体も心なし揺れているように感じられる。私は初めて事の重大さを知り,二人に礼を言いバイクを止めてある海辺へ急いだ。大津波が来るかもしれない!

 数分で海辺に到着。海は穏やかで津波の前兆である引き潮はまだ見られない。震源地は遠いようだが,それにしても大きな地震だ。先ずは高台にある我が家へ帰ろう!海辺から観音崎の交差点へ出ると信号機が消えていた。 ※私設HPの「地震と津波」の頁参照

 信号機が消えている為か,私と並んで1台の車,前方に2台,右方向に1台の車が停止していてそれぞれ動こうとしない。私も一旦停止はしたが,一向に信号機は点灯する気配が無いので,しびれを切らして走り出した。すると4台の車も我に返ったようにそれぞれユックリと走り出した。

 観音崎から自宅まで,途中7ヶ所の交差点に信号機があるが,その全てが消えていた。その中で感心したのが,鴨居小学校近くにある鴨居交番前交差点での青年の行動。地震発生時刻後の15時頃は小学生の下校時刻。交番のお巡りさんはたまたま不在のようで,それに代わって彼が交差点を仕切っていたのだ。

 40歳前後と思われるその青年は,交通誘導手旗代わりに50cm角位の段ボール板を片手に車をストップさせ,児童に横断を指示したり。児童をストップさせ車に走行を促したり孤軍奮闘していた。私はそれを見て多いに感動したが,彼の指示に従いバイクを発進,帰宅してしまった。何故あの時,彼に協力しなかったのか,今でも恥ずかしく思い出すことがある。  
文・写真 : 鈴木 弘(10A 組)
    

写真は2011.3.18撮影
  
 地震発生から1週間が経過しても,計画停電の為か鴨居港交差点の信号機は,地震発生時と同様に消えたまま。曇り空の下,辺りが薄暗くなっているにも関わらず,周辺の住宅には灯が一つも見当たらず,人っ子一人歩いていないのも不気味だ。
  

2011.3.17 15:52
 地震発生の翌日頃から,生活必需品の品薄や品切れが続出。鴨居港近くのお米屋さんは休業。浦賀駅近くのガソリンスタンドには給油の為の車が長蛇の列。スーパーの陳列棚もガラガラの状態がしばらく続いた。
   

2011.3.17

浦賀駅前からガソリンスタンドまで長蛇の車列  2011.3.17

震災から2週間後のスーパーの陳列棚   2011.3.27
 地震発生から8日後の3月19日。彼岸の入りなので菩提寺のある京急・新馬場駅へ向かった。幸い電車は運行していたが,節電の為,浦賀駅の構内や電車内は無灯。途中通過した横浜駅のホームも真っ暗なのには驚かされた。下車駅の新馬場駅でも構内は真っ暗。エスカレーターは使用休止,自動販売機も販売休止になっていた。
  

2011.3.19

横浜駅のホーム   2011.3.19

新馬場駅構内・使用休止のエスカレター   2011.3.19

飲料水の自動販売機も販売休止   2011.3.19
 菩提寺に着き本堂の入口を見ると,ガラス扉の上にご住職が書いたと思われる「大地震 国難克服 祈願彼岸会」と墨黒々大書した紙が貼ってあった。被災地の一日も早い復興を祈りたい。

2011.3.19

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